Archive for 2008年4月

週報4 4月27日 (No2528)

   今週の集会

27() 10:15復活節第6主日礼拝聖書 ヨハネ162533説教『どんな時にも神の愛がある』礼拝後2008年度定期総会【議案】(1)2007年度教会活動総括(2)2007年度行事諸集会報告(3)2007年度会計報告(4)2008年度諸計画 会計予算案(5)教会役員選挙(6)その他30()10:00 第一祈祷会 加藤常昭著「祈りへの道」第6章朝の祈り(3)18:30 定期祈祷会第6章 同 上

次週の予定

()10:15復活節第7主日礼拝«聖書 ヨハネ黙示録5614«説教『新しい歌をうたう』«賛美29/ 57/ 604()/356 /88●礼拝後 定期役員会●5()6()57定期教区総会於山口市湯田「防長苑」●6()10:00第一祈祷会 加藤常昭著「祈りへの道」第7章広がる祈り●18:30定期祈祷会第

 教団信仰告白解説21

この変わらざる恵み

 「信仰義認」ということは罪ある者を無罪と見なして受入れてくださった神の恩寵だが、それで終りではない。それは新生経験とも言える出来事である。ヨハネ福音書3章のニコデモと主との会話で言い表されている。つまり主の命に新しく生きる者となる。

それは見えない神の導き、聖霊の力により日々成長し完成をめざしての新しい出発である。「葡萄の樹に結ばれた枝」(ヨハネ15)と言ってよい。当然幹なるイエスにより成長し実を結ぶ枝となるのである。新生を乳幼児に例えるなら成熟した大人になると言うことができる。エフェソ413節、フィリピ31314節を読んで頂きたい。いつまで経っても幼児的信仰に留まって

この二つの経験を「義認と聖化」と言う。この「聖化」は、「義認」と同じで、自力で頑張って得るのでなく、変わらざる恵みによるのである。つまり幹につながり続けること、キリストと共存する日々、具体的には教会につながり、説教と聖餐に与ることである。これを欠くなら信仰の成長は無く、聖化もまたない。

 

 

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週報3 4月20日 (No2527)

            今週の集会

復活節第5主日礼拝 四月家族礼拝聖書 ガラテヤ51626説教『神さまから頂く実』20()10:15復活節第5主日礼拝聖書 ガラテヤ51626説教『聖霊の結ぶ実』21()14:00 分区牧師会 於尾道久保教会23()10:00 第一祈祷会 加藤常昭著「祈りへの道」 第6章 朝の祈り18:30 定期祈祷会第6章 同 上

 

次週の予定

27()10:15復活節第6主日礼拝聖書ヨハネ162533説教『どんな時にも神の愛がある』30()10:00 第一祈祷会 加藤常昭著「祈りへの道」第6章 朝の祈り18:30 定期祈祷会 第6章 同 上

報告と消息

「聖歌」総合版が、今回特価(二割引2.604)で入手することが出来るようになりました。ご希望の方お申込み下さい。

 

教団信仰告白解説20

信仰によって義とされ

わたし達の側に救われる条件は皆無であるが、神の側から差し出された救いを受けることを、神に義と認められるという。これは裁判で被告人に判決が下される時、有罪なのだが、支払不可能の負債を一切取消され無罪になるのと同じである。ローマ32325節を読むと判る。「キリストの罪の贖いで…今まで人が犯した罪を見逃す」とある。

主イエスはこれを借財に例えて、百日分の賃金支払いを巡り争っているが、神は一つの国を買収する程の額(100×60万倍)を帳消にしたと語られた(マタイ182135)。これを年数に計算してみると神の罪の赦しがどれ程のものか判る。16世紀の宗教改革でマルチンルターが旗印にしたのは「信仰のみ」であった。それは人の側の功績や善行で神の救いが与えられるのではなく、只イエスを信じるだけという意味であった。「信仰によってのみ義とされる」を「信仰義認」と言い、聖書に貫かれている真理である。 

 

 

 

週報2 4月13日 (No2526)

 今週の集会

13()10:15復活節第4主日礼拝○聖書 ヨハネ211525説教『神の愛に支えられ』◎礼拝後 臨時役員会◎16()10:00 第一祈祷会 加藤常昭著「祈りへの道」第5章 朝を待つ祈り○18:30 定期祈祷会 第5章同上

次週の予定

20()10:15復活節第5主日礼拝聖書 ガラテヤ51626説教『聖霊の結ぶ実』

報告と消息

◎来27()礼拝後、2008年度の定期教会総会を開催します。万障お繰り合せご出席下さい。【議案】(1)2007年度行事・諸集会・会計その他報告(2)2008年度諸計画・会計予算案(3)教会役員選挙 

◎礼拝で使用しています「聖歌」ですが、今回特価(二割引2.604)で入手することが出来るようになりました。ご希望の方お申込み下さい。尚教会備付も用意する予定です。

 

教団信仰告白解説19

恵をもて我らを選び

 これまではイエス・キリスト告白の部分であったが、この段落はわたし達人間の側に関わる告白である。既に神とわたし達との関わりはイエスの啓示によることを学んだが、その働きを「神は恵をもて我らを選び」というのである。恵みにより救いに選ばれるとは、選ばれる根拠がわたし達の側に無いということである。

わたし達に善行や人間的に優れた能力や価値があるので選ばれるのではない。むしろその反対に何ら価値も善行も無いばかりか、自己中心で他者を傷つけたり否定したりする罪と悪に染まった者であるにも関わらず、神が永遠のご計画によって救いの手を伸べておられるということである。ベンツァクは「新教理問答」で、深い淵から人がその壁をよじ登ろうとしている絵がある。彼は犠牲、苦難、宗教的エクスタシー、律法の遵守、慈善、禁欲、施しなど様々な手段で梯子をかけて登ろうとするが高くて出来ない。何度繰り返しても駄目である悲惨な人間が画かれるが、これは人間の本性に問題がある。ローマ719節、24節「ああ我悩める者なる哉、欲する善はこれを成さず、欲せざる悪はこれをなす」という二律背反、善玉と悪玉が同居しているからである。

週報1 4月6日 (No2525)

今週の集会

 

6() 9:30 教会学校礼拝 9:30復活節第3主日礼拝聖書 ヨハネ21114説教『あれは主だ』礼拝後 定期役員会9()10:00 第一祈祷会 加藤常昭著「祈りへの道」第5章 朝を待つ祈り18:30 定期祈祷会第5章 同 上

次週の予定

13()10:15復活節第4主日礼拝聖書 ヨハネ211525説教『神の愛に支えられ』

報告と消息

23日第9回建築委員会を開催しましたが、次回5月に近隣教会の礼拝堂を見学することが話し合われました。ご参加ください。

先週4/13越谷コミュニティセンターでホ群年会が開催され牧師夫妻が出席参加しました。小川文子牧師は秋鹿教会を辞任し、新しく今井靖清伝道師が招聘され赴任しました。

         小川牧師は京都復興教会に転任し、一年間海外宣教(カンボジア)の準備をする予定です。お祈りください。

 

教団信仰告白解説18

贖いとなりたまえり

イエスの十字架と死がわたしたちと無関係でないことが明らかにされた。それはわたし達の一切の罪を身に受けて死に渡されその深淵から救い出すことであった。これを信仰告白では「十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖いとなりたまえり」とある。贖いとは、犠牲となって罪から救い出す行為のことである。旧約聖書に見られるイスラエルの祭儀では、祭壇に犠牲の小羊を度々献げて罪の赦しを与えられた。そこでヨハネ福音書では「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言われている(129)。神はイエスの十字架を歴史の中で唯一一回限りの贖いとして表わされたのである。これをヘブライ人の手紙926節では「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた…。」とあり、また10章14節で「キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。」と述べている。先にイエスの十字架上の七つの言葉を学んだが、それは具体的なイエスの宣言なのである。世間一般では、の「十字架の奥義」を知らないまま、扱われるが、時代を超えて今もそこに示されている、神のメッセージを受けとめて頂きたい。十字架は罪の赦しと愛のシンボルなのである(続く)