Archive for 2008年12月

週報39 12月28日(No2563)

  今週の集会

10:15降誕節第2主日礼拝(年末感謝礼拝) 聖書イザヤ431920 教『見よ新しい事をなす』礼拝後 第12回建築委員会31()10:00年末感謝祈祷会各自、回顧と恵みの証し18:30定期祈祷会 休会

1/1()11:00  2009年元旦礼拝聖書 6289説教題「民よ、神を信頼せよ」

  次週の予定

4()10:15 降誕節第2主日礼拝(2009年 新年礼拝聖書マタイ21323説教題「逃れ場所を持つ」礼拝後定期役員会7()10:00 第一祈祷会加藤常昭著「祈りへの道」第24章 忍耐に生きる為18:00 定期祈祷会第24章 忍耐に生きる為

報告と消息

○クリスマス合同礼拝及び祝会は大人子供30名幼児4名の出席で、現礼拝堂最後の思い出のあるものとなりました。新来会者もありました。色々と愛兄姉の御奉仕を頂き、主にあって感謝いたします。○去26()女性会のクリスマスが土井姉宅でありました。出席者6名、楽しい集いでした。感謝

 

教団信仰告白解説51聖徒の交わり

 公同の教会は、「信仰共同体」と呼ばれるもので、キリストを頭(かしら)として結ばれた一人一人はその交わりに入れられている。

それが「聖徒の交わり」と呼ばれるものである。決して個人の集団ではない。

「聖」とは神によってこの世から選び出された、神の所有とされている事を意味している。神に結ばれていない人は、人々からどんな評価を受けようと…例えば“聖人みたいだ”と言われても、信仰共同体における「聖徒」とは異なる。あるいは自己反省して欠点の多いことを自覚して、自分は「聖徒」などではないと言っても、それで決まるのでもない。 「聖徒の交わり」は聖霊による告白共同体となるもので、ぶどうの木に譬えるなら幹であるイエスと生命でつながっている枝々なのである。これはヨハネ15章に語られている通りである。

 

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週報38 12月21日(No2562)

  今週の集会

21()10:15こども・大人合同クリスマス礼拝聖書ルカ2120 教『さあ出かけて見よう』礼拝後 クリスマス祝会(司会)前田保成*愛餐会*お楽しみゲーム*ケンちゃん腹話術*プレゼントその他(礼拝堂・最後のクリスマス!) 24()10:00 第一祈祷会加藤常昭著「祈りへの道」第23章『望み絶えぬ祈り』18:30 定期祈祷会 同 上第22章『望み絶えぬ祈り』26()10:30 女性会クリスマス於土井倫子姉宅 

  次週の予定

28()9:30  教会学校礼拝10:15 降誕節第2主日礼拝(年末感謝礼拝) 聖書 イザヤ431920説教「見よ、新しい事をなす」31()10:00 年末感謝祈祷会各自、回顧と恵みの証し18:00 第一祈祷会 休会1/1()11:00 2009年元旦礼拝

  報告と消息

○今週26()女性会のクリスマスがあります。揃ってご出席下さい。○藤井幸子姉、中光 弘・雅子夫妻、東京聖書学校学生一同、神辺教会、宇佐美牧師夫妻からクリスマスカードが届いています。感謝。掲示板をご覧下さい。

 教団信仰告白解説50聖なる公同教会

 「われら告白」(前段階にある告白)で既に教会について述べてきたが(No2532参照)、ここでは特にプロテスタン教会がローマ・カトリック教会と明確な一線を画すものとしたのである。これは「唯一の・聖なる・公同教会」としてニケア・カルケドン信条で明らかにされ、宗教改革の時以降に取上げられた。「公同」は英語でカトリックである。ローマ13910節に「公に言い表す」とあるが、この世に向って正真正銘な表明をすることになる。「普遍的」といってもよい。時代に押し流され、変質する、民族や人種階級に左右されるものではないことである。

カトリックは普遍性を標榜したが、独断に過ぎて間違ったことを宗教改革者は指摘したのである。その一つが聖俗、職階を持ったことで、司祭は聖、信徒は俗として区別したのである。そこでこの職階を排除し普遍的なる教会は「聖なる」教会であると告白した。この場合イエスによって神はすべてのキリスト者を聖なる者として受け入れているということである(ローマ17節、ペトロ第1259)。カトリックは他の教会を認めなかったが「教会は一つ」と告白した(エフェソ44)

 

 

 

週報37  12月14日(No2561)

   今週の集会

10:15アドベント第3主日礼拝聖書 ヨハネ11928 教『荒れ野に叫ぶ声』礼拝後 定期役員会17()10:00 第一祈祷会加藤常昭著「祈りへの道」第23章『望み絶えぬ祈り』18:30 定期祈祷会 同 上第22章『望み絶えぬ祈り』

 教団信仰告白解説49

『聖霊なる神』

 既に「三位一体の神」について述べたが、聖霊なる神は御父と御子と同格の神であり、「三にして一」、「一にして三」という在り方が示される。マタイ2819節を読むと判る。旧約聖書では、神の霊の働きとして示されるが(イザヤ11章2~6節参照)、新約聖書ではイエスを証する霊(第1コリント123)であり、聖霊によらなければ誰も「イエスは主である」と告白できない。復活のイエスが召天される時に聖霊が降ることを約束され(使徒言行録18)、その通り弟子集団に聖霊が降った。その時の有様がリアルに記されている(214)。これによってキリストの共同体(教会)が誕生した。また聖霊は、パラクレートス(弁護者と訳される=ヨハネ福音書14章26節)と呼ばれ、「慰め主」「助け主」となられたお方である。